美濃焼について

日本で最もポピュラーな伝統陶磁器=「美濃焼」

岐阜県、東美濃(東濃地方)で生産される多種多様なやきものを「美濃焼」と呼んでいます。
長い歴史と伝統に支えられた美濃焼は、食器類の生産が全国シェアの約60%を占めており、日本のやきものの代表といっても過言ではありません。
日常生活のなかで何気なく使われ、知らないうちに生活にとけこんでいるやきもの、それが「美濃焼」です。

美濃焼は、1978年(昭和53年)7月22日に、通商産業省(現・経済産業省)伝統工芸品に認定されています。

美濃焼の歴史

室町時代後期(1500年頃)になり、山の頂上付近に「大窯(おおがま)」と呼ばれる単室の窯が築かれ、灰釉・鉄釉のやきものが作られるようになりました。

その後、灰釉は焼き流れしない釉薬に改良されたものができ、「黄瀬戸(きぜと)」となりました。又、窯の中より色見を引出したことから、引出し黒を見つけ、「瀬戸黒(せとぐろ):引出し黒、天正黒」が生まれました。

織田信長や豊臣秀吉の桃山時代になり、千利休や古田織部等による茶の湯の流行から茶陶の世界が生まれ、灰釉に長石(ちょうせき)を加えた「灰志野(はいしの)」を作り出し、次に長石だけの「志野(しの)」が作られるようになりました。そして、日本において初めて筆書きの文様付が可能になりました。やがて、山の斜面を利用した「連房式登窯(れんぼうしきのぼりがま)」と共に、斬新なデザインのやきものが生まれました。これが美濃のやきもの「織部(おりべ)」の誕生です。

このように味わい深い「黄瀬戸・志野・織部・瀬戸黒」等が作り出された桃山時代は、日本を代表するやきものが生まれた時代でした。

江戸時代に入ると、日常生活に使われる食器が大量に生産されるようになり、幕末には、白くて硬い磁器が焼き始められ、その後、生産性も上がり全国的に流通するようになったのです。

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